2019/05/29

午後の自室で私は熱いコーヒーを飲みながら、過去の様々な出来事を思い起していた。
それなりに長く人生を生きてしまった以上、心に浮かぶあれこれの場面はその一つ一つに長時間とどまっておれないほど数が多すぎて、つい早送りのビデオのように散漫に眺めてしまう。
あるいは列車の窓から見える景色のようなもの、と表現すればいいだろうか? あれはいったいどんな意味のある出来事だったのだろう、あの人は私に何をもたらしてくれた人物だったのだろう、そんなことをていねいに振り返る余裕はなく、あっという間にすべては過去の闇の中へふたたび飲み込まれていく。
こんなことでは、せっかく忙しい日々の隙間を使って過去をふりかえっても意味はないのだ。単なる時間の無駄であり、こういう作業は死の床についた老人にでも任せておけばいい。
そう判断した私はアパートの玄関ドアを勢いよく開けて、輝く太陽の下へと躍り出た。
そしてたまたま目に入った総合病院に駆け込むと、閉まりかけていたエレベーターに乗り込み、そのまま上へと自動的に運ばれていく。
やがてエレベーターが勝手に止まり、開いたドアから看護師らしき女が乗り込もうとして来る。私はその女を必死に押しのけて外に飛び出ると、最初に目についた病室に飛び込んだ。ベッドに横たわる見ず知らずの人を「頑張ってください!」と激励した私は、そのままふたたびエレベーターに乗って地上へと帰っていった。
人生の時間をうっかり無駄に過ごしてしまったと感じたときは、その埋め合わせに何か有意義な行動をしたいという気持ちに人は駆られるものらしい。
そんなときは気軽にボランティア活動に身を捧げるということがあってもいい。そんな貴い文化がこの国に根付くことで、ボランティアを偽善呼ばわりするようなひねくれた態度が社会から一掃される日が来るのを、私もまた願ってやまないのである。