2019/05/24

近所のビルに屋上があることを知った私は、矢も楯もたまらずそのビルの階段を駆け上がっていった。
「こんなビルの存在をこれまでまともに意識したことは一度もなかった。私が用のあるテナントなど見当たらないことは一目瞭然だし、どうやらエレベーターがないことも入口をちらっと覗いたときに予想していたのだ。わざわざ階段を足でのぼって、『この建物に私がこれから通いたくなるような雰囲気のいい店や、つい治療を頼みたくなるような評判の歯医者はあるかな?』などと各階を見て回るほど、私は暇ではないのだ。そんな好奇心溢れる人間を歓迎したいというのなら、せめてエレベーターを設置するのは当然のことだ。だがこれまで無視し続けていたこのビルには、どうやら屋上があるらしい。ついさっき道路を歩いていたら、ビルの頂上に立つ人がこちらに向かって手を振ってきた。それを見て私はこのビルへの興味を急速に掻きたてられたというわけだ。私は屋上に大変興味があり、どんな建物の屋上も一度は足を踏み入れたいのだが、最近はすっかり屋上から遠ざかっていた。どこか虚ろな心で足もとばかりを見つめ、自分の足に自分で引っかかって転んだり、意味もなく草をむしって空中に投げたりしていた。そんな迷走気味だった日常から、さきほど屋上で手を振っていた人が連れ出してくれたのかもしれない。さあ、そろそろ屋上のドアの前だ」
独り言が終わると同時に私はそのドアを開け、屋上へと飛び出していった。
つまり階段の長さと独り言の長さという、本来なら較べられるはずもない異質な二つのものの長さが奇跡的に一致したのである。
私は何か運命的なものを感じ、もしも自分に子供が生まれたらこのビルと同じ名前にしよう、とそのとき決意したのだった。
だがその名前をここに書き記すわけにはいかない。
子供と親とはあくまで別人格なのであり、SNSなどで子供の個人情報をまるで自分の日記帳のように気軽に書き留める親を見かけるが、将来我が子から裁判を起こされてもしかたないし、その裁判に負ける可能性が高いことを知るべきなのである。