2019/05/02

二年ほど前のゴールデンウィークに、私はどこか見知らぬ街を旅していた。どのような理由でそこにたどり着いたのかははっきりしないのだが、夢や空想でないことは生々しい記憶が証明しており、そのとき購入した土産物のキーホルダーも手元にある。
それは天狗の顔だけのキーホルダーで、地名が書かれていた痕跡があるがすでにかすれて読めなかった。天狗の伝承などが有名な場所におもむき、しばし旅情にひたって魂の休暇を楽しんだのだろう。
そう思ってキーホルダーをいじっていたら、長い鼻がぽっきりと折れてしまった。
鼻が折れてしまった天狗はもはや天狗ではなく、ただの赤ら顔の男に過ぎないことに私はそのとき気づいたのだった。
「どんなに個性的で人々の注目を集めるような人物でも、いったんその最大の特徴が失われると突然どこにでもいるような平凡な存在に転落してしまう。持って生まれた才能にせよ、努力によって磨き上げた個性にせよ実はとても脆いものであり、そうしたものを心の拠り所にするのは大変危険なことではないだろうか? どれだけありふれた凡庸な人間でも誇りを持って生きられる社会の建設が急務だと感じられる。だがただの赤ら顔の男がいったい何を誇りに生きていけばいいのか? そんな誰も興味の持てない人物の顔がキーホルダーになって販売されるような時代が来るとは、どうしても思えないのだ……」
私の思考はそんな袋小路に入り込み、手にしていたキーホルダーがぽとりと床に落ちた。
かつて天狗だった男の目は、どこか悲しげに私をまっすぐに見上げていた。