2019/05/18

毎日の食生活への、繊細な気遣い。それが求められるのはべつに一家の主婦や、飲食店の経営者ばかりではない。一人一人が自分の体をつくっている食べ物をじっと見つめ、
「私の肉や骨になるという大事な仕事を、この食べ物に任せていいんだろうか?」
そうしっかり考え直す時間が必要なのだと考えられる。
いわば食事のたびに我々は自分という企業の人事担当者となり、入社試験を実施しているのである。
慎重な選考過程を経ずに毎日同じ物を食べたり、評判の店を巡って外食ばかりする人間は、いわばコネ入社ばかりの会社や、出身大学のブランドで採用を決める会社のようなものだ。
そんな会社に激動する世界を生き抜く真の力が育たないのと同じように、食事としっかり向き合わない人間の健康状態はつねに安普請の家のような不安定さが続いている。
そして心もまた脳という肉体の一部がつくりだすものである以上、結果的に「毎日の食事があなたの心をつくっている」というのもまた事実なのだ。
そんな大事な仕事を任せるべき日々の主食をカップ麺などに頼らざるを得ない、貧困と多忙が重なっている層はいわば「カップ麺でできた心」で生きているカップ麺人間たちと云っていい。
毎日手打ち蕎麦ばかり食べている人間と彼らとでは、事実上まったく別の世界で生きているようなものだ。そのこともまた現状の格差社会をさらに強化し、人々を今いる社会的な地位へと固定させていく原因となっていると思われる。
だから毎日のカップ麺を一週間に一度の手打ち蕎麦に変えるなどして、貧困層を心だけでも富裕層に近づけていくことが必要になってくる。そのことで初めて同じリングに上がる条件が整うのであり、格差社会を崩壊へと追い込む革命への第一歩が印されるのだ。
一週間に一度の食事では物足りない、という不満の声は出るかもしれない。その点はたしかにどうにかしたいと考えているが、無農薬・有機栽培の良質な蕎麦粉にこだわりたい以上、なかなか難しいというのが本音だ。