2019/05/17

会社組織などに属して、将来への不安を打ち消すようなさまざまな保険をかけている気分にならないと、毎日の食事もろくに喉を通らなくなる。そんな精神状態の人が大変多いことが、労働者を舐めきった傲慢な企業経営のありかたを無言で後押ししているような気がしてならなかった。
どんなに調子よく見える会社も明日には倒産している可能性があり、そこまではいかずとも業績不振により、給料のかわりに袋入りのモヤシやさほど旨くもないスナック菓子等が配られるようになるかもしれない。そう考えると、たとえ正社員の地位であろうとそこにしがみつくことが何を保障するわけでもないことはあきらかなのだ。
それでも、藁をもつかむ思いで劣悪な環境の職場にすがりついてしまうのが人情というものだ。それはけっして冷徹な計算によるのではなく、もっと切実でやみくもな判断なのだと考えられる。人は追い詰められているときにこそ最悪な判断をしてしまいがちであり、ずっと後になってそれを悔やむ日が来たとしても、もはや取り返しのつかない場所での出来事なのである。
町を歩けば、実に様々な会社の名前が看板になって掲げられている。これだけの数の会社があるなら、中には労働者を宝物のように大事に扱う理想的な職場もそれなりの数あっていいはずだ。
ところが聞こえてくるのはすべて職場に関する愚痴や怨嗟の声ばかりであり、そのことからもまた現在我々が追い詰められている場所の深刻さが窺い知れるだろう。
無数の看板に書かれた社名はすべて肥え太ることのみに専念する資本の豚の名前であり、労働者はその豚にせっせと餌を運ぶ奴隷でしかない世界が完全に実現されているのである。
この絶望的な事態の打開には、豚インフルエンザウィルスのごときものの感染による、大々的なパニックの到来が望まれるのかもしれない。
だが豚インフルエンザによる豚の死亡率は極めて低いものであり、過大な期待は禁物なのだ。