2019/05/16

わが家の周辺は人口密度のわりには自然に恵まれており、生活するにはなかなか快適な環境だと云えるだろう。
そのせいか、いかにも振り込め詐欺グループなどに属していそうな反社会的な雰囲気を漂わせる人間は見当たらず、散歩していてもすれ違う人たちに対し自然に「こんにちは!」という元気な挨拶の言葉が漏れてしまうようなところがあった。
相手からは同じように挨拶の言葉が返ってくることもあれば、そうでないこともある。もちろん、心の中では誰もが元気な挨拶を口にしているはずだが、中にはシャイな人や、たまたま考え事をしていてこちらの挨拶を聞き逃してしまう人もいるだろう。だから返事がもらえなくとも気に病む必要はなく、自分の挨拶がその人の心に隅にぽっと小さな花を咲かせたことをひそかに喜んでおけばいいのだ。
たとえ今は咲いていなくとも、無意識のうちに聞き取った明るい挨拶の声は心に種を埋め、いずれそこから芽が出て成長した草木が花をつけることになるのである。
私は今までにすれ違いざまに挨拶した人の顔はすべて覚えている。だからその人と道でばったり再会するたびに「あのときの種は芽を出したかな?」「そろそろ花を咲かせている頃かな?」ということが気になって、ついじろじろと見つめてしまう。
だが無言でそんな態度をとるのは失礼だと反省し、最近ではきちんと言葉にして質問するという方法に切り替えている。
「こんにちは! 以前もこんな風に道でご挨拶させていただいた者ですが、その後いかがですか? どこか心を明るくするような可愛らしい花が体内で開いたような気持ちにはなっていませんか?」
そう勇気を出して訊ねれば、相手の人も当初の不審な気持ちが消えて笑顔に変わり、誠実に答えを返してくれるものだ。
「はい、なんとなく思い出しましたよ。そのときは挨拶が返せなくてすみませんでした。知らない人に挨拶されるという経験があまりなくて、びっくりして咄嗟に言葉が出てこなかったんです。でも、あれ以来自分の中に『知り合いでもなんでもない人にでも、路上で積極的に挨拶をしてかまわないんだ』という新しいルールが生まれ、今では自分もそうするように心がけているんです」
そんな言葉が初夏のそよ風に乗って耳に入ってくるとき、私は花壇の前にしゃがみ込んで思いきり香りを吸い込むような気持ちになるのだ。