2019/05/13

ピクニックや花見など、屋外で飲食する機会の多い人にとって紙コップの使用はおなじみのものだ。軽いうえに使用後は公園などに備え付けのゴミ箱に捨てることで、帰りの荷物を減らすことができることが好まれるのだろう。
だがそのように大変便利な紙コップの利用に消極的だったり、嫌悪感さえ覚える人たちがいるという話を耳にした。どうやらかれらは紙コップに飲み物が注がれている状態を見ると「検尿」を連想してしまうようなのだ。
云われてみれば確かに、ビールや麦茶、リンゴジュースなどはその色が尿に似ていることもあり、検尿コップへの連想を誘うのも無理はないとも思える。
だがオレンジジュースや無色透明なサイダー、酎ハイ等ならばそんな不快な連想が働くこともなく、紙コップの便利さを満喫できるのではないだろうか。ごく無責任にそんな反論をしてしまったのだが、どうやら話はそう簡単なものではないらしい。
当人のコンディションや数時間前に摂取した飲食物などにより、尿の色にはさまざまなバリエーションが存在する。だから一見尿らしくない色の液体が紙コップに満たされている場合でも、何かの薬剤の影響や血尿などで変色していることが想定され、かえって検尿コップとしてのリアリティが増してしまうという話なのだ。
こうしたことは紙コップの便利さに目を奪われているとつい見落としてしまう点である。我々の多くは想像力の欠如によって知らぬ間に身近な他者に苦痛を強いていることがあると自覚する必要があるだろう。
苦痛を感じる側は、場の空気を壊してはいけないとそれを隠して一方的に耐え忍ぶ傾向があり、いわばその場における多数派の楽しみの犠牲になっているのである。
とはいえ、自然の中で紙コップに注いで飲むビールの味が格別なものなのも確かだ……。
せめてその味を楽しむ際には、周囲への配慮を怠ることなく事前にひと言、
「あなたは紙コップに満たした液体を見ると検尿を連想してしまう方ですか?」
そう目の前の人に声をかけてからビールなどを注ぐようにしたいものである。
あなたにとっては思わず喉が鳴るような美味そうなビールが、その人にとっては採取したてで泡の立っている、検査を待つ小便にすぎないかもしれないのだから。