2019/05/12

人がこの世に生まれてきたことに、なんらかの立派な理由があるのだろうか? それとも地震で箪笥の上の人形が落下するように、とくに意味のない出来事なのか。それをいくら考えても答えを手に入れることができないのは、数十年間に渡って考えつづけた私がいまだ結論を出せずにいることから明らかだろう。
だが、同様の問いに頭を占められている若者たちに対し、
「そんなこといくら考えてもわからないから時間の無駄だし、夏は海水浴やキャンプ、冬はスキーなどに行って時間を有意義に使ったほうがいいですよ」
などと偉そうにアドバイスしようなどという気は毛頭ない。
私が結論を出せないのは私自身の限界であり、優秀な若者ならば小一時間ほども熟考すれば「人がこの世に生まれてきた意味」は解明され、次のタスクに進むことができるかもしれないからだ。
むしろそのことに期待したいし、「素晴らしい意味があった」という結論でも、「まったく意味などなかった」という結論でも構わない。
どちらでもしっかり受け止めたうえで先に進むのがこの社会にとって必要なことなのだ。
あるいはいずれでもなく、「人が生まれてくることにはネガティブな意味しか存在しない」という結論が出されたとしても、それはそれで冷静に受け止めたいものだと思う。
絶望を急ぐのではなく、生まれてきたことにいっさいの価値がない、むしろ生まれるべきではなかった人々のつくりだした世界をゆっくりと最小限の被害にとどめながら終わらせるためにこそ、人類の叡智をつぎ込む必要があるのではないか。
そのような態度を決めるべく覚悟はできているつもりなので、若く知性にあふれた人々からの「人がこの世に生まれてきた意味」についての意見にこれからも真摯に耳を傾けていきたい。
ぜひ遠慮することなく、街角などでも気軽に語りかけてほしいものである。