2019/05/11

我々が一生のうちに読むことのできる文字の数など、夜空を見上げた一瞬に視界に入る星の数よりも少ないのではないだろうか?
そう考えてみると、人はみなせいぜい書物という宇宙の入口に立ったところで人生が時間切れになるのだとわかり、虚しさと眩暈の混じったような複雑な精神状態に陥ることを避けることができない。
もっとも、これは都市部を除いた自然に恵まれた土地に限定しての話だ。
都会の人間にとって夜空の星は、ちょっとした読書家なら一日で読み終えてしまう文字数と同程度かもしれない。
もちろんこれは、人口過密な都市部では夜空が明るすぎて視認できる星の数が少ない、という意味で述べているのであって「田舎者は都会人と較べると読書量が圧倒的に少ない」などという根拠のない差別的な決めつけを行っているわけではまったくないのだ。
とはいえ、こちらの意図とは別にそのように読み取れる表現になっていたとしたら、その点は配慮が足りなかったことを反省して率直にお詫びしたいと思うし、無意識にとはいえこの世の差別的な構造を強化することに加担してしまったのは、私の勉強不足並びに「差別というのは無教養な馬鹿が行うもので、インテリである自分とは無関係な問題だ」という慢心があったことも認めなければならない。
「田舎者はろくに本を読まない」などという地方在住者への偏見が問題外なのは云うまでもないとして、都市と地方では情報や教育の充実度にあきらかな格差があることはそれはそれとして受け止めたうえで、考えていかなければならない問題だ。
それは「ある差別構造が、またべつの差別構造を生み出す」という悪循環の実例でもあるだろう。この鎖を断ち切るために、都市に住む富裕層からの寄付などを募って地方に図書館を積極的に建設し、また公民館などを利用して定期的に読書会を開くことで、少しずつ活字に親しむ機会を増やす努力が必要なのではないだろうか。
そうした地道な活動の積み重ねの果てに、たくさんの読書好きな老若男女が豊かな自然の中でそれぞれお気に入りの一冊を手に笑顔で手を振る光景が目に浮かぶようで、私は胸が熱くなるのを感じた。