2019/04/06

他人の手足や、時には顔面さえも踏みつけなければ一瞬でも立っていられない社会に我々が生きているのなら、「この社会を変える」と決心したところで他人の顔を踏んでいる現実は続いており、他人の顔を踏みながら「この社会を変える」と叫び続ける人間が一人誕生するだけだ。
心ある人はこの矛盾に苦しみ、一時的にこの社会の外に出ようとする。だが他の惑星にでも旅立たない限りそんなことは不可能なので、絶望のあまりホームから電車に飛び込むことになる。
そのため心ある人の数は年々減る一方であり、口先だけ綺麗事を言いながら自分の踏んでいる他人の顔を「これは顔のように見えるかもしれないが、実はただの地面だ」と言い張るような冷酷な人間だけが、今では社会派として大手を振っているのだ。
まったく何の救いもない、一筋の光とも無縁な我々の社会の状態はそのようなものだ。
だが冷酷な人間たちの非人道的なふるまいには、この社会を真に変革するためのヒントが隠されているように思う。
つまり実際に他人の顔を踏みつけるかわりに、あらかじめ顔に見える地面を用意してそれを踏むようにすれば、この社会の基本的な仕組みを維持したまま現実の悲惨な側面のみを取り除くという、我々が喉から手が出るほど欲している改革が可能になるのかもしれない。
現実に、すでに心ある知識階級の人々の目に見えない活躍によってそうした社会が実現しつつあるような気もしている。
つまり我々は誰か他人の顔や手足を踏みつけていることにいつも心を痛めているが、実はそれらは単に地面に描かれた模様と入れ替わっており、当然痛みを覚えることはないから今では思う存分踏みつけても構わないのである。
これからは知識階級の人々の透明な活躍に心の中で感謝しながら、心置きなく顔のように見える地面を踏みつけ、悲鳴やうめき声のように聞こえる風の音に耳を澄ませたいものだと思った。
世界はようやく素晴らしい方向に変わりつつある。そう確信すると嬉しさの余り、私の口から大量のよだれが溢れてきた。