2019/03/24

銭湯の壁にはたいてい巨大な富士山の絵が描かれているが、あれは本当は富士山ではないのだという話を聞いたことがある。
富士山に一見そっくりではあるが、場所も高さもまったく違う山であり、しかも銭湯の一軒ごとにそれぞれ別の山が描かれているのだ。だからこの世には本当は銭湯の壁の絵の数だけ、富士山にそっくりな山があるという計算になる。
そんな山のひとつがもし近所に見つかれば、みんな早速話題にしてネットなどを通じてたちまち世の中に知れ渡るだろう。
だから富士山に瓜二つな山は、ふだん我々の目に触れないような場所、具体的には別な惑星などにあると考えるのが妥当だ。
この広大な宇宙に存在する無数の星の中には、富士山とこっそり入れ替えても誰も気づかないような外見の山もまた無数に存在しているのかもしれない。
そうした山のうちのひとつが、我が家の近所の銭湯に描き込まれているのだとすれば、入浴時によく見ればその山の頂上で手を振るグロテスクな外見の宇宙生物の姿が確認できるだろう。
もちろん、それをグロテスクと感じるのは我々の偏見であり、むこうの立場から見れば我々の姿もまた非常にグロテスクでありえない物なのだ。
とはいえ、科学が伝えるところでは宇宙の星のほとんどに生物は存在しないから、その富士山そっくりな山も無人である可能性のほうが遥かに大きい。
何とも寂しい話ではあるが、それがこの宇宙の現実なのである。